2005年12月27日

Infidels

「ヨブ記」では神から見捨てられるヨブという義人の話が物語調に展開されている。

 

彼は世の誰よりも正しく、神を信じていた。しかし彼は神から一方的に見捨てられ、財産と家族と健康を全て奪い取られた。
彼は財産と家族を失った際にも神を呪わなかった。健康を失い、灰をかぶってうずくまっているときにも神を呪わなかった。
彼は唯一、自らの存在そのものを呪った。「わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。 その日は闇となれ。 神が上から顧みることなく、光もこれを輝かすな。」(ヨブ記3:3〜4)

なぜ彼は神ではなく、自らを呪ったのか。
それは彼にとって神の正しさは絶対であったからだ。そして同時に自らの正しさも"神にあって"確信していた。 だから彼は神の不実を呪うことも出来ず、また3人の友人が主張するように自らの罪を告白することも出来なかった。
ゆえに彼は自らの存在そのものを否定しきるしか道が無かったのである。

彼にとって神の正しさこそが絶対であった。正しいものには祝福を与え、公平な捌きを行う神の正義こそが彼の根本であった。
彼は信仰者ゆえの苦悩を背負ったのであった。彼は信仰者として正しく過ごし、神を信頼していた。だから彼は理不尽なまでの不幸に対して、 神を呪ったり絶望することは出来ず、苦しむしかなかったのである。

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2005年11月08日

一つの意見としてB

果たして、戦争とは本当にしてはいけないことなのであろうか? これが今回のテーマである

 

毎年8月が近づくと「戦争の記憶を風化させない」「忘れないことが一番の慰霊」 と言ったような文句を耳にする。もちろん大事なことであるし、 その通りである。しかしそのような文句には私たちがさも当然のこととして捉えている基本的前提が潜んでいる。 それは当たり前すぎて私たちは戦争について語る際にまったく気づくことが出来ないのだ

私たちが気づかずに用いている前提条件、 それは「戦争は絶対的な悪である」 というものだ。
戦争が悪であると誰が決めたのであろう?あまりにもおかしな質問で読者は少々戸惑われるかもしれない。多くの人が死ぬから、 生活が破壊されるから、戦争が悪であることは当然じゃないかと思われるだろう。
しかしよく考えてみると、戦争が完全な悪であると言う概念はごく最近生まれたものなのだ。 そしてそれは国際的にはそのままでは通用しないのだ。

 

日本は明治維新以降多くの戦争を経験してきた。戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、 シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争・・・。

どの戦争も正義を確立するために行われたものである。戊辰は明治新政府の正義を、日清日露は外国からの脅威に対抗するべく、日中・ 太平洋戦争はアジアの解放を目指して。どの戦争も確固たる正義があり、その上で日本は戦争という手段を選択したのだ。少なくとも 「より多くの外国人を殺したいから」などといった理由で戦争を起こしたことはない。
それに対して敵国もまた自らの正義を確立するべく日本と戦った。 諸外国は自らの領土の平和や自立を目指して日本と血みどろの戦いを行った。 日本も敵国も、お互いの信じる正義を持って戦争を行い、 数え切れない人を殺し、悲しみを生んだ。正義とは実に激しいものである。
どちらの国の兵士もお互いが憎いから殺し合いを行ったのではない、彼らは彼らの所属する国が奉じる正義のために他者を殺したのである。 その兵士の家族も心の中では悲しみながらも、家族を戦場へと送り出した。より多く敵を殺した者は処罰される代わりに栄誉を受け、 その国の正義を確立するのに貢献したと称えられた。

戦争を行っている時は誰も「戦争そのものが悪である」などといった事は考えない。 それは自分の国が奉じる正義を確立するためには必要な手段なのである。当時のドイツ人は心からヒトラーの提唱した第三帝国の正義を信じ、 日本人は天皇の名の下に展開される大東亜共栄圏の正義を信じたのである。
今現在の世界においてあたかも連合国が正義の軍隊であり、枢軸国は悪魔の集まりであるかのように認識されているが、 それは後の時代に政府と歴史家が作り出したイメージである

上記の問いに戻ると、戦争そのものが悪であると言う概念は日本においては戦後になってから一般化したものであろう。 戦争とは正義を確立するための手段であり、多くの人が死ぬが必要なものであるのだと言う認識が戦前の認識であるだろう。また彼らは (戦争が国内で行われない限り)、景気を良くする要素としてむしろ歓迎していたのだ。

現在のように「戦争=悪」 と言ったような多分に脊髄反射的な理解は戦後に戦争問題に直面した際に生まれたものであると言ってもいいと思う。 そしてそれは戦争責任を本格的に考えてこなかった政府と国民の逃避の産物である。そのような形で深く掘り下げないことにより、 彼らは戦争責任を空洞化させてしまったのだ。

 

国際的にはまだまだ戦争は正義の確立のための手段であり、時には仕方のないものであると言う理解が一般的であろう。 特にアメリカの最近の行動は「正義のための戦争」を具現化しているようなところがある。
正義のためには人を殺しても仕方ない。それが現在の世界のリアルな認識である。

なぜ戦争がいけないことであるのか良く考えてみよう。人を殺すからいけないのか? では人を殺すことはどんな時でもいけないことであるのだろうか?
例えば他国の兵士にあなたの家族や恋人が害されそうになっているときに、それを防ぐためにあなたが兵士として彼らを守ることは、 守るために敵兵を殺すことは本当にいけないことであるのだろうか?

 

人を殺すから戦争は良くない、 そんなような小学生の道徳レベルから掘り下げることのないような理解から戦争が悪であると理解する事は大変危険だ。
戦前の日本の人々は人を殺すことの罪よりも、天皇に従うという正義の方が大事であった。 だから天皇の名の下にアジアで悲惨な出来事を起こし続けた。もし、今の私たちに人を殺すことの罪よりも大事なものが提唱されたなら、 おそらく憲法9条はあっという間に改憲され、 自衛隊は軍隊になるだろう。そしてその大事なものの名の下に戦争が起こるだろう。 そしてそれは現実に起こりつつある。

そう、それは以前にアメリカで起きた。9月11日のニューヨーク同時多発テロにより、 アメリカ国民には人を殺すことの罪よりもテロリストを正義の名の下に根絶するという事の方が大事であるとの理解に至ったのだ。
だからアメリカはアフガニスタンで、イラクで戦争を行っている。

私たちが気をつけるべきことは、私たちの浅薄な認識であり、それを覆すことの出来るようなものである。
いくら8月ごとに「戦争の記憶を風化させない」や「忘れないことが一番の慰霊」と唱えていても、 その基盤にある戦争に対しての罪認識が浅ければひっくり返すことは容易なのだ。

戦争は、人を殺すことは本当に罪なのかどうかを良く考えてみよう。それは私たちの心の、魂の問題である。

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2005年10月03日

ホームページ考・ノイズ

「他者に向けて文章を書く」とか生意気な事書いてましたが、僕のサイトっていったい誰が見てるんですかね??

メイプル・・・ここ2ヶ月ばかりINしてない。ゲーム内の友達もいない。
KGK・・・ここ半年ばかり顔出してない。
大学・・・このサイト知ってるの自体ごく少数。

 

いや、見てる人誰よ?(汗

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ホームページ再考

つらつらと書いてみたホームページ考 ホームページ考・追記に対していくつか意見をいただきました。

多少なりともどこの誰が見ているのかわからないところにHPって形で文章を書くっていうのは覚悟のいるもんです。
メイプル関連のサイトの運営者さん達も、自分と同じように色々考えながらやってるんだな〜ってわかって面白かったりしました。ほんと、 それなりの密度をもって長期間文章を書き続けるって言うのは難しいんですよ。

 

まず、ちゃぶるさんの意見から。 (2005/9/18の記事から)

ちゃぶるさんの3つのカテゴライズは正確なもので、面白い分類だと思います。

1、万人向けのサイト→Maple Styleさんやメイプルの雫さんのようなところですな。情報サイト。正確さが一番大事。
2、内輪向けサイト→多くのサイト。 個人的にはギルドサイトってここに入るのかな〜とか思ってます。
3、自己満足サイト→これも多くのサイト。 どことは挙げられないけど(うちもそうです)。

基本的にはみんな最初は3なんだと思います。その中で友達が増えて2になっていったり、3のままだったり、 1みたいな人気サイトに発展したり。
最初から1のサイトで始めたのでない限りは、みんな自己満足が原点なんです。

また、ちゃぶるさんの意見で「殆どの運営者は文才がなく、 コメントやアクセスを求めるがゆえに閉鎖的に陥りやすい」というのがありました。
おそらくそのとおりなんだと思います。僕だって文才があるわけではありません。 しかしコメントやアクセスを求めるがゆえに内輪ネタになるって言うのはあまりにもさみしいのではないでしょうか。 中国の城郭都市じゃあるまいし。

僕が提案したいのは、たとえネタは内輪ネタであっても、 それを他者に読ませる文章として書くという態度です。内輪同士で「これ面白かったよね!」じゃなくて、 画面の向こうの誰かに対して「これ面白くない?!」って語りかける態度です。
たとえ文才がなくとも、 ネタがつまらなかろうとも、 他者に対して書くという方向性を保ちながら続けるサイトはきっとガラス張りのホームページにならないんじゃないんでしょうか。

 

次に敬愛するとこなめさんの意見から。 (2005/9/28の記事から)

自分を知ってもらい、自分の意見を聞いてほしいからサイトを運営しているっていう意見はすごく納得いきます。
そういう小さな満足を1ゲト2ゲトしていく事がサイトの運営においてガソリンになるんでしょうね。すごい純粋な3の自己満足サイトです (よい意味でね)。

結局のところ、サイトを何で運営しているのかというと「俺の文章を読め!」 という事に限るのではないでしょうか。
時々自分のためにだとか覚書としてとか言ってサイトを運営している人がいますが、ならローカル環境で書けばいいのにと、 アクセスなんか関係ないって言うんなら誰も見れないようにPWかけろよと思います。

僕はアクセス解析もつけているし、カウンターもつけています。アクセスが増えればうれしいし、減れば「え〜〜」と思います。
あったら便利だろうな、みんな見てくれるかなと思って狩り講座も作りました。アンテナも運営しています。 おかげで昔に比べて多くの人に僕の文章を見てもらえるようになりました。
それは僕がアクセスを第一に考える狭い人間だからなのでしょうか? カウンターの数字を見てニヤニヤしているつまらない人間だからなのでしょうか?

 

そうでない事は何よりも、僕の書いたホームページ考 ホームページ考・追記という文章に対してじゅみゅさんちゃぶるさんとこなめさんがわざわざ自分の意見を文章として表してくれたことでわかるんじゃないのかと思います。
アクセスが増えた事により、 今まで全然接触もなかったような人たちがこうやって僕の意見に対して真剣なレスポンスを返してくださるという事が、 インターネットの一般性の醍醐味であり、サイト運営の喜びなんじゃないのでしょうか。

ただアクセス数が増えれば、コメントが増えればいいってもんじゃないです。しかしそこに内輪の枠を超えた、 自己満足の枠を超えた交わりができればそれはとても良いことなのではないかと思います。

 

追記:「かりこうざ」って入力したら「借り口座」って出た。金銭面の話はしていない。
追記2:思えば最初は「カトキ立ち」の話を見て、じゅみゅさんのサイトにトラバしたんだよな〜。
追記3:もしこの文章を読んで何か書いた人がいましたら、トラバなりコメント残してくださるとうれしいです。 アクセス解析で突然他サイトからの訪問者が激増してるとびびります。

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posted by やどかり at 03:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 独呟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月23日

radio

この前久々にKGKの地区MLを覗いてみた。

 

去年度の末ぐらいから設定をWEB受信にしておいた(つまりメール配信されない)ため、 配信されている内容を見るためにはML管理サイトにログインして、そこから見なくてはならない。 もちろんメールが配信されてほしくないからそうしたんだし、3ヶ月に1度ぐらいしかログインもしない。

なんかたくさんのメールが飛び交っているようだった。題名と配信者の羅列だけ見て、一部のメールをチラッと見ただけだけど、 相変わらず僕の知らないところで多くの人が色々しているみたいだった。
配信者の名前は殆ど知っていた。多くは同期の学生で、ちらほらと後輩の名前が見えた。
そこには僕の知らない祈祷会やら合宿やらのお知らせが満載で、毎週のようにあるそれらの活動の記録を見ていると僕は深い感慨に襲われた。

 

何よりも感じたのは、昔の自分は彼らと同じ所に立っていたんだなという事だった。言い換えるなら、 今の僕は彼らと同じ所に立っていないんだという事だ。
昔の僕はいろんな人に迷惑かけたり怒られながらも、頑張って主体的に活動しようとしていた。でも今の僕は違う。 主体的に活動しようという気持ちが失われ、実際に出来ていない自分を見つける。
そういう事を実感として思わされて、僕は昔の自分がべりべりとからだから引き剥がされているような感覚に襲われた。結局の所、 僕は自分から昔の自分との連続性というものを放棄してしまったのだ。

すっかり剥がれ落ちてしまった自分を見ながら僕はこうなるしかなかったんだと呟く。多くのことは僕の中では既に過去に属している。

 

 

何度も何度も文章を書いて校正していく。段々と文章は僕の言いたい事から遠く離れていく。
ラジオの深夜番組の中ではPeter,Pole&Maryが時代遅れな歌を歌っている。

「くよくよするなよ。終わった事じゃないか」

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posted by やどかり at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独呟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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