2009年10月10日

読書すること

僕は今までずっと本を読んできた。そしてこれからもそうするだろう。

 

(今回の記事は更新期間を開け過ぎないためのもの。次の更新はBattle for Wesnoth日記の「Wesnothの起源」編です)

 

 

 

僕が本を読み始めたのはいつのことか定かではない。

物心ついた時には既に本を読んでいる自分がいた。読んでいたのは古き良きアメリカを描いたローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズだ。僕はこの本を文字通り繰り返し繰り返し読んだ。一つ一つのシーンを覚えてしまうぐらいに読んだ。当然本はぼろぼろになった。
(ちなみに僕がこのシリーズがかなりの長編であることを知ったのは中学生ぐらいの頃だった。当時僕の家にはこのシリーズは5作目の「農場の少年」までしかなく、僕はローラとアルマンゾが結婚することも知らなかったのだ。)

僕が現在のように本を読むようになったのは母親が毎晩読み聞かせをしてくれた・・・からではない。むしろ逆だ。
僕は母親から読み聞かせをしてもらった記憶は一切ない。というよりも絵本を読んだ記憶がほとんどないのだ。僕はその読書歴の最初から絵本をすっ飛ばして活字を読んでいた。
僕の通った小学校は図書室に行っていいのは3年生からで、1年生と2年生は「ほんのへや」という所に行く決まりだった。そこには絵本しかなく、友達が嬉々として絵本を読んでいる中、僕はその読書のレベルのあまりの低さに、どうにかして早く3年生になる方法はないものかと悩んでいた。
そんな生意気な小学生も時間さえ経てば3年生になる。僕は文字通り図書室に通い詰めとなった。

その当時の小学校の図書室(平成元年ぐらいだ)ではまだまだ電子システムなどは入っておらず、読書カードと「代本版」という借りた本の代わりに入れておく厚手の木の板が、本を借りるために必要なものだった。
僕の代本版は図書分類で言うところの2類の棚をじりじりと移動していた。3年生になった時に僕は2類の棚、つまり歴史の棚にある本を全て読もうと決めていたのだ。
僕は伝記物と呼ばれるシリーズをひたすら読破していった。日蓮、雪舟、織田信長、徳川家康、坂本竜馬・・・日本の偉人だけではなく海外の偉人のものも読んだ。「シリーズ日本の歴史」も読んだ。とにかくジャンルが2類だったら何でも読んだ。おそらく今でも僕の行った小学校の図書室では、2類の棚の本を見るたびに同じ名前がどの読書カードにも載っていることだろう。

1年に300冊以上を読み、2類の棚を制覇した頃、僕の興味は9類、つまり小説へと移った。
と言ってもディケンズやシェイクスピア、ドストエフスキーなどを読んだ訳ではない。小学校にある小説などは得てして大したものではない。僕はドリトル先生シリーズや怪盗ルパンを端から読んでいった。
そしてひたすら端から読み潰していき、僕の小学校生活は終わった。
当時の僕は家にファミコンなどの娯楽がなかったせいか、ひたすら本を読んでいた。学校の行き帰りも本を読みながら歩いていた。文字通り朝から晩まで本を読んでいたので、周りの大人は感心すると同時に、ちょっと心配になったようだ。せめて学校の行き帰りぐらいは本を読むのをやめなさいと言われた覚えがある。
でももちろんそんな忠告には耳も貸さない。本を読みながら歩いていたって周りの様子は見えているし、車に轢かれる可能性なんてなかった。そして僕はますます異常な読書を続けていった。

僕が地元の図書館に行く様になったのはちょうど小学生の終わりから中学生へとなる頃だ。比較的過保護に育てられた僕はあまり一人で遠くまで出歩くこと自体がなかったので、それぐらいの年になってから始めてそのような場所があることを知った。
それからは地元の図書館に通いつめるようになる。行く時にはいつも大きなリュックを背負い、帰りにはその中にぎっしりと借りた本を詰めて帰る。まるで戦時中の食料の買出しのような風景だ。
貸し出し期間はたったの2週間なので、当然それだけの本は幾らなんでも読めない。だから貸し出し期間を自分の中で延長することとなる。延長した貸し出し期間が1ヶ月ほどになると、図書館から電話がかかってきて、母親から怒られて本を返しに行く事となる。
僕はそれを飽きる事無く続けた。時には母親から図書館行きの停止を言い渡されるのだが、謹慎が過ぎるとまた同じように大量の本を借りてきた。その当時の僕には目の前にある面白そうな本を借りずに済ませることなんて出来なかった。ちょうど2週間で読みきれるだけ借りるなんてお上品なことは出来ず、とにかく目一杯借りてしまうのだった。

僕は中学校でも相変わらず読書三昧の日々を過ごしていた。一応友達もいたが。
学校の図書室は僕の住まいと化し、僕に用事のある際には先生はまず図書室に来るようになった。部活もしていない僕は暇さえあれば図書室にいたからだ。そうして中学校の読書カードは僕の名前で埋まった。
しかしこの生活も高校に入ると同時に一変する。僕は高校時代にはほとんど図書室には行かなかった。
高校の図書室は建て替えたばかりの校舎内にあり、最新の電子システムも導入されたきれいな所だった。しかしそこは僕には居心地が悪かった。本を選んでいても集中できず、本の方も何となくよそよそしかった。
おそらくそれは、僕が初めて図書室というのは読書するため以外にも勉強をするためにあるのだ、という事に気づいたからだと思う。その図書室ではみんな勉強していた。机にだらしなく寄りかかって「日本の築城」なんかを読んでいるのは僕だけだった。
そして僕は図書室通いをやめた。

大学では図書館は「調べ物をする場所」へと変化した。歴史学という大変に調べ物を重視する学科に入ったので、僕は図書館で調べ物をし、書庫に篭って史料を探した。小説を借りることはなかった。
高校生の時に僕はふとした偶然から村上春樹という作家に出会い、それから自分の人生に少なからぬ影響を与えられたのだが、それを考慮しても僕の読書量は減る一方だった。
色々忙しかったのもある。勉強もしなくてはいけなかったし、サークルにも参加しなくてはいけなかった。そして深夜にはバイトをしていた。本を読む時間はあまりなかったのだ。

 

そして大学を卒業した僕は、専門書店に勤め始めた。
目の前には常に本が大量にある。全部が全部読みたい本ではないけど、とにかく大量だ。汚さない限りは店員はそれらの本を「勉強のために」借りて行ってよい事になっている。
最近、駅前に図書館が新しく出来た。駅から濡れずに帰れるというのが売りのタワーマンションの中だ。だから僕も仕事帰りにすっと本を借りることが出来る。昔行っていた図書館は自転車で15分ぐらいのところにあるから、なかなか平日に行くことは出来なかったのだ。

僕は再び本を読み始めている。昔のようにがりがりと柱をかじるねずみのような読み方ではない。とても読みきれない本を抱えて走り回るリスのような借り方でもない。面白そうな本を、ちょうど読めるだけの量借りるというスタイルだ。
僕は昔に比べて名作と呼ばれるものを読むようになった。ようやくそれらの良さが少しはわかるような年齢になってきたのかもしれない。名作と呼ばれるものは面白いかどうかはともかく、とにかく読まされてしまうといった所がある。それが名作たる所以だ。

僕は物心ついた時には本を読んでいた。それが今の仕事に繋がっている。
小学校の図書室でまず読み始めたのが歴史の棚の本だった。大学で僕は歴史学を専攻した。
高校の頃に出会った村上春樹は、僕の人生に少なからぬ影響を与えた。

僕は読書は教養を高めるためだとか、見聞を深めるためだとかという考えには全面的に賛成しかねる。
読書はそれ自体が意味のあるものであり、何かの目的のための手段ではない。読書はエンターテインメントであり、気取った趣味ではない。そして読書は僕には食事や睡眠と同じように生活に欠くことの出来ないものなのだ。

 

今は僕はジョン・アーヴィングの「オウエンのために祈りを」を読んでいる。
ジョン・アーヴィングは現代アメリカきっての作家として名前は知っていたが、読んだことはなかった。この作品もひたすらに長く(上下巻合わせて1000ページはあるだろう)、描写はうまいのだが物語は比較的単調でくどい。読むのに経験と忍耐の要る作品と言っていいだろう。
しかし読まされてしまう。読まずにはいられなくなってしまう。やはり名作と呼ばれるだけあるものだ。
読書をするとはつまりこういう事である。ある種の人たちが新たな女性との出会いを求めて夜の街に繰り出すように、もっと強い麻薬を求めて中毒患者が路地を彷徨うように、僕はもっと面白く、ガツンとココロにくる本を求めて今日も新しい本を手にする。時にはかつて読んだ本を再び手にする。

全ては読書の歓びのために。

posted by やどかり at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 独呟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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