2008年12月15日

Tunnel-5

悪意。

あまり日頃使わない言葉だ。特に僕みたいに毎日を草食動物のようにおとなしく過ごしているだけの大学生にとっては。
しかし今は違う。僕は今悪意をひしひしと感じる。それはまるで空気の中にひっそりと紛れ込んだ毒ガスのように、僕たちの周りに忍び寄り、呼吸にまぎれて体内に侵入し、肺を満たす。

強烈な息苦しさを感じる。強い圧迫感。
まるでトンネルそのものに押しつぶされそうな感じだ。じわじわと周りから締め付けられるような。

「・・・歩こう」

僕はようやくそう言った。そう言わなければ足を踏み出すことが出来なかった。
そう、僕たちはいつの間にか止まっていたのだ。本当に自分たちでも気づかないうちに、足が止まっていたのだ。

 

僕たちはのろのろと、しかし止まってはいけないとの切実な意思を持って歩き始めた。

トンネルはずっと同じように続いている。同じ曲がり具合のカーブ、同じ高さの天井、相変わらずのかび臭い空気。
全てが同じだ。それはまるでトレーニング・ジムのランニング・マシーンの上を延々と歩いているだけのような無意味さを感じさせた。もくもくと、自らの体を鍛えるためだけに作られた空間。鏡に向かいながら移動することも無い運動を続けている空しさ。

僕たちはこのままどれだけ歩けばここから抜けられるのだろうか。そもそもこの先に本当に出口があるのだろうか。

そもそも、僕たちは進んでいるのだろうか。

 

 

懐中電灯が切れた。

歩くのがあまりにも惰性になりすぎて、僕は最初の数歩は懐中電灯が切れたのにも気づかなかった。
突然後ろから彼女に肘を掴まれて、それではっと辺りが暗闇になったことに気づいたのだ。

「ちょっと!大丈夫?!」

「ごめん、ぼんやりしてた」

「しっかりしてよ!前歩いているんだから!」

僕はまたごめんと謝り、彼女の方を向いた。

いまやトンネルは真っ暗になっていた。彼女が白いコートを着ているからようやくその上半身が判別できるぐらいで、後は暗闇の中に融けてしまって何も見ることが出来なかった。

「・・・電池切れ?」
と彼女は聞いた。

「うん、多分。ずっと車に入れっぱなしだったから」

「ただの電池切れなら良いんだけどね」

確かに。と僕は言葉を継いだ。
単なる電池切れなのか、もしくはガソリンみたいにトンネルの仕業なのか。
僕たちにはもうそれを判別することも出来ない。全ては僕たちの手から離れてしまっているのだ。
決定権は僕たちで無く、既に他に移っていた。それが僕たちを捉え、車から降ろし、そしてこの場所で灯りを奪った。僕たちはいまやただ黙ってそれを受け入れるしかすべは無かった。

 

僕は座り込んだ。

地面は土で、ひんやりとして気持ちよかった。
周りが見えないからもう歩くことも出来ない。どっちに進めばいいのかもわからない。僕たちに出来ることは、ただ黙ってじっとここに座っていることだった。

彼女は座り込んだ僕の気配に気づいたようで、こちらの方に近寄ってきた。
白いコートがわずかに僕の視界に写った。

「っ!痛いって」

「ごめんごめん」
と彼女は謝った。

彼女は僕の姿を探すために手を振り回していたようだった。その手が思いっきり僕の頬に当ったのだからたまらない。
僕のかけている眼鏡はズレ、場違いなぐらいに乾いた音が辺りに響いた。

「クリーンヒットした?」

「音で分かるでしょ。痛い」

「そんなところにいるからだって」

彼女はそう言いながら僕の位置を手探りで確認し、となりに座った。
彼女はべったりと僕の半身に身を付け、僕の腕を取った。
今まで僕は女の子にそんな事をされたことなんて無かった。普段そんな事をされたら気が動転してしまったことだろう。しかし今は暗闇ということもあり、自然なぐらい彼女の行動を受け入れていた。

「暗いね」
と彼女は言った。

「真っ暗闇だ」

「これからどうすればいいのかな」

「もうどうしようもないよ」
と僕は言った。

「こんなに暗くちゃ動けない。ここにいるしかない」

「あー、スキー行きたかったなー」
彼女は場違いなぐらい大きな声でそう言った。

「つーか俺たちあいつのこと忘れてない?」

「そうだよ。聡は何でこういうときに助けに来てくれないの?せっかく付き合ってるってのに!」
彼女はそう言いながら腕を振り回した。

「どうせあいつは今頃一人で滑ってるんだよ。俺たちがこんなトンネルにいることも知らずに」

「あー、絶対別れてやる。あんな人でなしとは!」

僕は思わず苦笑した。
ここはおかしなトンネルの中で、僕たちは車も灯りも失ってへたり込んでいる。
だけど彼女はスキーの事を考え、彼氏の事を考え、これからのことを(怒りと共に)考えている。
もちろんそれは強がりだし、本心では彼女も震えるぐらい怖がっているんだろう。でもそれを口に出さない。

だから僕も口に出さない。
僕も怖い。多分僕たちは何か恐ろしいものに捕らわれているんだろう。生きて帰るなんて出来ないかもしれない。
でも僕はそれを口に出さないことに決めたのだ。彼女のためにも。

そう決めると気持ちが楽になった。
空気も心なしか、そのかび臭さを減じて爽やかになったようだった。

 

そして僕は、突然彼女に抱きしめられた。

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posted by やどかり at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 手習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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